Archetype++

写真撮って、日記書いてます。

節目

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GXR + RICOH LENS P10 28-300mm F3.5-5.6VC

350日目。休日の日。

350日。なんだかあっという間に過ぎていったように思う。去年の今頃何してたっけな、なんてのを思うも、やはり自分では思い出せなくて結局このどうでもいい日記に頼らざるを得ない。どうやら思考は一年は持たないらしい。その都度書いて残すしかない。ブログ自体がいつまで持つか、いつまで残ってるかは分からないけど。震災アーカイヴだって「お金ないから継続できません」ていう話が出ているのに、はてなブログみたいな個人向けサービス提供しているところがいつ終わってしまうかなんて、それこそ分からない話だ。お金払ってるからちゃんとサービス継続してほしいけど。

自慢ではないが、この「Web2.0時代の残滓」みたいなブログを書き始めて5年近く経つ。前進の「はてなダイアリー」時代の「Archetype+」から通算すれば10年を超えた。前も書いたかもしれないけど(そのくらい忘れている)、実は「+」がダイアリーからブログに移行する際に2つに増えている。意味は…意味なんだったけな。心機一転とかそういう意味を込めていたように思う。某星のマークでおなじみの模型会社を意識して…というわけではない(あっちは赤が「情熱」を、青が「精密」を表しているらしい)。わたしも色を付けておけばよかっただろうか。

swordfish-002.hatenablog.com

そのうち「のらりくらりしながら10年間ブログを続ける方法」ていうのでも書いてみようか、とか思いついてみる。のらりくらりとやってたから続いたっていうのもあるだろうし、だいたい、最初の方なんか写真だけ載っけてたからね。そりゃ記事数も稼げますわな。んで今から振り返ってあまりの恥ずかしさに悶絶するという、そういうところまでがセット。

で、1年前と比べて何が変わったかを考えてみるんだけど、やっぱり触ることに対する抵抗感は強くなっている。マスクしてない人に対する視線だとか。食事のとり方、ゴミの捨て方。手の洗い方とかも前より念入りにするようになったな。おかげで手荒れも酷いことになってるけど。

意識的な部分をもっと言えば、諦めのようなそんな感覚にも似た状況をよく感じるようになった。「なるようにしかならない」てやつだ。前も感じてはいたけど、この一年はもう自分たちではどうしようもない部分が大きすぎて、本格的な諦めを覚悟することもある。人を集めなきゃならない仕事をしていると、それが全部ダメになったら仕事もなくなるわけだし、研究の方に力を入れようと思っても現地で調査ができないし、文献を探しに行くのも別の苦労が必要になる。希望とかそういうものはあんまり感じられなくなったなあ。

これは自分でも意外だった。

マスクしてない人を見かけたり、あれだけテレビで言ってるのに密集して何かしている人たちを見ると、内心「あーあ」というか、バカにしてしまうというか、そんな感情も湧くようになってしまった。何で感染症を広げるのに加担するのさー、みたいな。あれだけテレビやらネットやらで言ってるのに。あんたらはそれを阻害する嫌なやつだ。言葉にはしないし、内心思ってるだけなんだけど、自分の中にこういう感情が出てくるとは思いもしなかった。どちらかと言えば体制批判側だと思ってたのに。まあ前も現もどちらも「何やってんだか…」的な目で見ているけど、だからって何かが変わるわけではない。そういえば大塚英志が「新生活」に関して新刊を出していたように思う。今度読んでおく。

いつの間にか自分の度量が狭くなってしまった。何でだろうか。分からないでいる。