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写真撮って、日記書いてます。

日々を残すこと、を、考える

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やはりこの時期は冷えるなあと毎年思う。

センター試験の時も、例の神戸の地震の時もそうだった。毎年のことながら、なかなか寒さに備えられずにいる。

熊本の地震後に兵庫県に移り住んでもうすぐ5年になるんだけど、神戸の地震のことも年々言わなくなってきてるように見える。防災センターに行ってようやく当時の様子を知ることができるレベル。震災の跡は今も多少は残ってるけれどほとんど気づかない。あちこちで再開発が進んで、どこがどうなったのかわからないところだらけだ。

他所から移り住んできた人間にとってこれだから、震災後の平成に生まれた人間にはもっとわからないのではないか。以前から住んでる人も風景が大きく変わってしまって、どこに何があったかを覚えてる人はどのくらいいるのだろうか。

熊本の様子は、離れてわかったけどこちらでは全然放送しない。関西ローカル圏のニュースが大半。なので今どうなってるのかもわからない。九州内では取り上げられてるんだろうか。どこまで復興したのか、住んでいた人間としては気になっている。

また顔を出さないとと思うことはあっても、行きたくても行けない、いつの間にかそんな場所になってしまった。知らず知らずのうちに遠くへ来てしまったような、そんな印象さえ受けることもたまに起こるようになった。

わたしにできることといったら何だろうか。被災しても感じだけど、日々の記録というか、写真撮影というか、そういうものを丁寧に残しておくことなのかもしれない。災害に備えるのはもちろんだけど、そうなる以前の様子は意識しておかないと残らないし、残せないように思う。何より、デジタルのご時世、パソコンやそのほかハード面が被災したらデータすら残らない世界だからいろいろ考えてしまう。

日々の平凡な暮らしをどこまで撮れるか、残せるか。そんなことを考えながら、妻と一緒に苺を食べるのであった。