Archetype++

写真撮って、日記書いてます。

焼肉を食べて歳を取ったと実感する

f:id:swordfish-002:20200328141711j:image

iPhone8 Plus

この歳になって初めて焼肉を食べるのがちとしんどい、と思うようになった。胃もたれするとかではなく、食べられる量が以前よりちょっと少なくなったのだ。頑張ればまだ牛丼大盛りサイズはいけるが、それも割と必死の感じで、最近は頭の大盛りでちょうどいいかなってくらいだ。そんなに機会はないのだが、たまに行くとそのサイズばかり頼んでいる。

今日は妻のリクエストに答えて焼いた肉を食べて来たわけである。ランチの時間帯なのでお得に食べられる…という点に目が奪われ、しかしメニュー表に載せられた写真の量ではちょっと少ないなあ…と思ってしまい、ダブルという肉2人前のセットにした。肉2人前食べるんだからご飯も多めがいいかな、とご飯は大盛りに。変更無料は嬉しい。しかしこれが後々「しまったなあ…」と少し後悔することになるとは注文時には思いもしなかった。

早い話、肉の量もだがご飯の量が多かったのだ。自宅のお茶碗換算で三杯分はあった。約0.7〜1合くらいか。そしてお肉も厚切りのものが並んでいて、おそらく300gくらいかな、それにふたりで食べるように追加したロースとタン塩が並ぶ。ランチとは、追加肉とは…と思うくらい食べた気がする。ランチの肉少なめにしといて追加肉を注文させる仕掛けだったのかもしれないが、今となってはもう遅いのである。

焼いては食べ焼いては食べ…を繰り返してふたり黙々と食べた。最初は元気よく食べ始めたはずなのに、だんだん食べきれないんじゃないかという恐怖みたいなものも出てきて、せっかく肉を食べて元気になるはずなのに変な感じになってしまった。美味しいことには間違いないのだが…ああ、これが歳をとるということなのか。20年前ならご飯二杯プラス肉食べ放題プラスサラダ食べ放題デザート食べ放題やっても平気で食べられたのに。こうして出来ていたことがだんだん出来なくなるんだな。最近そんなことを実感することばかりだ。次は何が出来なくなるんだろうか。怖いような、反対に楽しみな気もしている。

すでに気持ちは夏を向いてる

f:id:swordfish-002:20200327161005j:image

iPhone8 Plus

4月の新年度すら始まっていないのに、すでに夏休みのイベントに向けて動き出している。まだイベントを考える段階なのだが、すでに日付の案も出さなくてはならず、いつ頃なら人出があるか、どうしたら人が来てもらえるのかを含めてああでもないこうでもないとのたうち回っている。

だいたいそんな感じで考え出したイベントはどうにかこうにかうまく回せるのだが、反対に「これやってください」と持ち込まれたものに関してはさほどうまく回せないし、何よりあまりお客さん受けはよくない。

自分としても、自分が作ったわけではないから別になあ…とどこかで気が緩んでいるのかもしれない。そういう時はいろいろと抜けが多かったりするから危険である。
ただ、イベントごとを考えるのはちょっと楽しい。

展覧会に付随するものだが、いかに展覧会を楽しんでもらえるか、このイベントに参加することで、より身近に感じてもらえないか、そういうことを主目的に置いている。

それにちょっと気がまぎれる部分もある。これだけ暗い話が続いているから、仕事のうえでも何か楽しいことというか、明るくなるようなことをしたいというか。そういうのをコツコツやっていくのが楽しい。チョー地味だけど。

夏までに終息しているか分からないけど、何かしら打開されていればいいし、そうなったときのための「楽しむ材料」をわたしたちは提供しなければならないと職業柄思う。どうか中止等々にならず、最後まで無事にできますよう。

流れる、何もかも

f:id:swordfish-002:20200326134728j:image

iPhone8 Plus

月末の土曜日に久しぶりに宝塚大劇場の公演を見に行く予定だったけれど、状況が変化して公演中止になり、その日の予定が宙ぶらりんとなってしまった。 

ああ。

『はいからさんが通る』楽しみだったのになあ、しかも久しぶりの大劇場公演。Twitter上の知人は早い段階で中止になっていたようで「わたしの「はいからさん」は通りませんでした」と言っていた。うーん、わたしのも通らなかった。そもそもこの公演全体で通る日は来るのかどうか。この状況を見ていると来なさそうな気がする。

妻なんか大の宝塚ファンだから中止の決定を聞いてめちゃくちゃ凹んでいる。「チケット払い戻ししなきゃなあ」と元気なく言ってる。もう少し稼げていたら、スカイステージに加入できるんだが…あとNetflixも。稼げない人間で申し訳ないと思う。

大阪と神戸の間の往来自粛とか、東京の方では首都封鎖とかそういう話も出てきていて、徐々に分断が進んでいるように感じる。くしくもプレイ中の『DEATH STRANDING』に状況が似てきてあんまりいい気持ちはしない。あれはゲームだからまだ受け入れる余裕があるが、それが現実になるとちょっとしんどい。こういう時になって初めて自身が様々なつながりの中で生きていることを感じる。

とかいうとちょっと「意識高い系」っぽくなるが、現実はある種諦めみたいなのもあって「もうどうしようもねえなあ」とかいう部分もある。どうしようもないから、淡々と仕事して淡々と日々の暮らしを進めていくだけ。

平日は自宅で仕事を、というが、自宅で仕事できない人はどうしたらいいのか。わたしは現場仕事はほぼできなくなるし、調査にも行けない。原稿だけは書けるかもしれないが現場に行かず書くのはそもそもありなのか。そういう葛藤もある。

上司の送別会の話も流れたし、4月からの展覧会のイベントも前半2週間分は流れていった。現時点で中止の決定。4月半ばまでは何もできないと思っていた方が幾分か気はまぎれるが、それ以降も流れると予測。ゴールデンウイークもおそらく人出は少なくなるだろう。そう考えると、展覧会に入る人の数も少なくなるだろうし、いわゆる開店休業状態になるのではないか。入館者数が生活に直結しないだけまだましで、入場者数やイベントの開催が生活に直結する業界の人たちはしんどいだろう。

オンラインでどうにかなるか、例えばお金取って公開するとかいう方法もあるけど、生で見るのと違うからな、その部分をどうするかが難しそうだ。

宙ぶらりんになった日はどうしようか考えている。

この状況だ、何やっても中止となって流れそうで怖い。結局家で過ごすことになるのか、それともちょっとだけ外に出るか。妻のリクエストは「焼肉食べたい」。お店の開店が流れていなければそれもありか。もうちょっと考えることにする。

桜を見る会(少人数)

f:id:swordfish-002:20200325145345j:image

iPhone8 Plus

「いつもこの頃」てな具合できちんと時期を見計らって咲く桜はえらいな。それに比べてわたしはいったい何をしているのか…とちょっとへこむ。

そんなにへこむ必要はないのだろうけど。

日差しは暖かいのだが、風は冷たいし影は冬に近い雰囲気がまだ残っている。何より、人気がまばらなのが昨年と大きく違うところだ。春休みに入った学生とかが去年は写真を撮りにぞろぞろいたのだが、今年はそういう影も全くなく、むしろ花しか無いような状況なので静かに見られるのはうれしい。

だいたい、桜の下で騒ぎすぎだ。あれだけ騒ぐから鳥も逃げるし、桜のことなんか覚えてないんだよ。誰に言ってるのか分からないけど。こういうのはひとりかふたりで見た方がいい。そういう信念。

今年は花見とかできないとばかり思っていた。花見といっても、ただ花を眺めておしまい。食事なし。ボーッと見てるのがいい。

外出を控えてというのがあちこちで言われていて、それでも家の中だけだと変に煮詰まってくるし、家と職場の往復は魂が腐ってしまう。外に出て何かしらするわけでもなく、ただただ漫然と花を見て、自然を見て過ごして帰る。それだけでも十分に気分転換できるし、人間、部屋の中だけで何かしていてもダメだなと実感する。桜だけでなく足元の苔もいつの間にか緑が濃くなっていて、季節と自然だけは前進している。そのうち苔玉作ろうかな。

こんな感じの、静かな場所の静かな花見を今年はちょこちょこやってみようと思う。ただただ日常を忘れてぼんやりしたい。

新しい人がきた

f:id:swordfish-002:20200324134436j:image

iPhone8 Plus

職場に新しい人がきた。といっても他部署ではあるが、初めての同性ということで何かしら話が合うといいなと思っている。思っているのは思っているのだが、向こうは向こうで忙しいらしく、話をする機会が今のところ全くないし、何よりシフト勤務の都合上、彼と会うのが今日が初めてであって、要するに今ものすごく接点がないのである。

どうなってんだこりゃ。

わたしはどちらかというと、初対面の人と仲良くなるのはなかなか難しい性格の人間である。馬が合う人とはすぐに打ち解けられるんだけど、そうでない人とは距離感を計りながらなので1か月経ってようやく日常会話程度はできるようになったケースがほとんどだ。下手すりゃ話をすることなくハイさよなら、てパターンすらある。高校の時は文系クラスで男子が少なくて、話をせざるを得ない状況下だったのはあるが、それがなかったらたぶん話しかけられない、話しかけない人もいたかもしれない。

子どもの時どうやって仲良くなってたっけな、てたまに思う。あの頃は好きな遊びとかで自然と打ち解けてたっけ。仲良くなったと思い込んでいただけなのかもしれないが、まあ、それなりにうまくやれていたんじゃないかな。今ではすでに顔だけ覚えていて名前が出てこない人とか、もっというと名前も顔も出てこないような連中もいるけど、友達はそれなりにいたように思う。ただ、学校外の友達とかはそんなにいなかったような。交友関係は正直「ビミョー」なところをいつもいっている気がする。だからといって損をしたとか、そういう気はあまりしていない。

さて、例の新しい人とどういう話題を持ち出せばそれなりにお話ができるだろうか。プラモとかミニ四駆とかインドア系の趣味はどうだろうか。この業界、だいぶオタクな連中が多いから(ただし方向性の違いというのもよくある)ちょっとだけ期待している。ちょっとだけ、ね。任期は一年らしいのでその間に打ち解けられれば。

春物を探しに行くことに

f:id:swordfish-002:20200322141723j:image

iPhone8 Plus

つい先日まで寒さに震えていたというのに、この数日は急に春めいてきて至る所で花が咲き始めている。こういうときに着る服がよく分からないから困る。コートは日中暑い、しかしパーカー的なものだと夕方が寒い。春物のコートというか、そういうものを用意する必要があるらしい。

春物、そういえば持ってない。あるのは春と夏の間のものと、がっつり冬物みたいなのがベースで、夏になったら半袖Tシャツとかそういうのが出てくる程度。あんまり着るものに興味ないから、10年前の服とか普通に衣装ケースに入ってるし、洗濯足りてなかったら引っ張り出して着たりもする。昔はそれでよかったけど、今はそれをやったら妻に「はぁ!?」と怒られるからやっていない。長く使いすぎだと言われるのだ。長く使うのがコンセプトで…と反論を試みるも、それ以前にもう生地がダメになってるでしょ!とピシャリ。これはもう仕方ないのである。こういう状況なので、次の休みに服を見に行くことになってしまった。あの試着してる時とか恥ずかしいんだよなあ、いつやっても慣れない。

ただ、保存場所も限られてるので、数着購入したらその分処分しなきゃならない。ただ捨てるならゴミだから、何かしらに役立てられないかと考えている。あれ買取に出すとどうなるんかな…非ブランド物だからキロ数円程度にしかならなさそう。それを考えたら雑巾とかにできる分は雑巾にして、後はもうゴミに出すしかないか。昔の暮らしであればお古を渡すことを始め、いろいろ使いまわすこともできたんだろうけどな。時代ってやつだな。

次に買うやつも割と長めに着たいが、どのくらい持つかな。襟が先にダメになるからな。そしてどういうものが似合うのか…こればかりは未だによく分からない。