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写真撮って、日記書いてます。

1000万人というけれどさ

mixiの会員数が1000万人突破したんだとか。なんかもうソーシャルって何だよ?って感じになりつつあるなー。これじゃあ普通のネット空間でこんな感じでだらだらブログ書いているのとあんまり変わらないような気がするんだが。もっとも、これはライトなユーザー(といいつつ何か手持ち無沙汰なときにケータイで足あとチェックなんかしていたりする)の考えであって、バリバリ使っている人は違う感想を持つのかもしれない。 でも1000万人超えた、といってもまだ私の父や母や弟の名前を見つけることはできていない。叔母さんはなんか加入してそうな雰囲気はするんだけど、あーでもよくわかんねーや。登録している名前を変えている、なんてことも考えられるけど、そういうことをするような人間じゃないからなぁ、うちの家族は。1000万人がいても私の父や母や弟は招待されていない。逆になんか面白いな、こういう状況って。 私が招待する、というのもひとつの手だが、それだとなんか「監視」といっちゃあ変かもしれないがお互いそういう気分になってしまうし、何より父や母が「いや、いいよそんなのせんでも」なんて言うだろうな。リアル社会のネットワークが充実しているからこういうのは必要ないのかもしれない。同窓会の企画なんかをしている父の姿を見ていると、ついネット上でやったら?なんて口を挟みたくなるのだが、そのわくわくしながら同窓会の招待状をプリンターで作っている姿の前に「そういうのは不要かな」と思ってしまう。こういう上の世代のコミュニケーションツールってメールやケータイもそうだけど、はがきや封書なんてのも重要な位置を占めていると思う。母なんかなんかあるたびに便箋2,3枚くらいの手紙書いてくるし。普段も電話なんかしてるんだけどね。 こういう世代の人たちが使うようなSNSってのもこれから出てくるんだろうなぁ。もしくはそれ以上の方々のSNS。でもやっぱウェイトはそんなにあがらないんじゃないかと思う。むしろ私より下の世代はこういうのをバリバリ使って、「猫背さん、あれ使ってないんですか~?」なんて感じになりそう。最もこれは印象だけで書いているんだけど。そんな感じでコミュニケーションの方法やそのウェイトが変化していくと思うんだけど、その際のデジタルデバイドってのはどのような問題を生み出し、そしてどのように解決されていくのだろうか。現在のデバイドもあんまり解消されているとは言いがたいのだけど…。 はてさて。私は今後も父や母や弟に招待メールは送らないつもりだ。私が招待してしまうよりも、他の知人なんかからの招待のほうがいいだろうし、mixiをさまよってたらお互いを発見した、なんてのも面白そうだしさ。自慢げに「招待されたぞー」的な話を聞くのも楽しみだから。そんなことを考えつつ、mixiの足あとを確認するのであった。
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