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写真撮って、日記書いてます。

大人になるってことは

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833日目。仕事の日。

今日は比較的穏やかな気候な気がする。

晴れてはいるが風は若干冷たいので過ごしやすい。

東北や北陸の方では大雨で大変なことになっていて、今後もどうなるか分からないので心配である。夏場の土砂災害は病気とか害虫とかそういうのもあって、片付け処理がものすごく大変だろう。

何が混ざっているか分からない泥水だもんね…汚水も逆流して混ざっているだろうし。乾いた泥が粉塵となってそれを吸うのもよくないんだっけか。炎天下の中でマスクして防除服着てってのはしんどいだろうな。

そんなことを想像する。無理はしないでほしいと思う。

子供の頃は、宮崎駿作品によくあるような「洪水の中を船で進む」イメージが結構好きで、ああいうことにならないかな、なったらこれを船にして進んでいくのにな、なんて思っていた。

子供は非日常のワクワク感と想像力がフルに動くよねああいう時。大人になって「ああ片づけがあるなあ」だの「流木の処理どうすんだろ」だの「そもそも水が泥水じゃん」という現実に直面して「ああ…」と言葉にならない言葉を溜息とともに吐き出すわけだが、大人にならないと気づかないよなとも思う。おそらくわたしが子供の時も同じようなことがあったのかもしれない。

想像力がなくなるのはいいことなのか悪いことなのか。

季節が近いし同じ集中豪雨の件で「8.6水害」のことを思い出した。わたしが小学3年生の頃だったから、もうおぼろげな記憶しかない。幸いにしてわたしが住んでいるところは特に大きな被害も無かった。

まさか西鹿児島駅が水没すると思わなかったし、石橋が流されるとも思わなかった。テレビで放送される被害の状況は、どこか現実感が無かった。

それよりも子供のわたしにとってショックだったのは夏休みの家族旅行ができなくなったことだ。確かそのことが衝撃過ぎて大泣きしてしまった記憶がある。子供ってやっぱり自分の世界のことが中心なんだなと振り返ってそう思う。

今思えば被災して旅行どこではなくなった同世代の子がいただろう、と思えるのだが、当時はそこまで想像できなかった。そういうものかもしれないが、当時の世界はそのくらい狭かった。

世界が広がっていくのはいつごろからだろうか。中学生のころ、高校生のころぐらいか。気づけば「洪水のなかを船で行く」みたいな想像もどこかに置いてきてしまった。大人になるってのはそういうことなのかな、なんて。しかしそれはそれで「ちょっとつまらない人間」になってしまった、というやつなのかもしれない。

午後に黒い雲と雷が鳴ってこちらも土砂降りかと思ったが、全然降ることなく雲は去っていった。久しぶりに一雨くるかとみていただけに肩透かし。災害級の雨ではなく普通の雨は降ってほしい。そうすれば多少は涼しくなるはずだ。

人間とは勝手な生き物で、どうしようできない自然に対してリクエストまでしてしまう。

わがままだな、まったく。