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写真撮って、日記書いてます。

どこかの誰かの貸出票

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iPhone8 Plus

648日目。仕事の日。

こないだ図書館から借りてきた本を読んでいたら、挟まっていた貸出票が出てきた。わたしのではなく、どこかの誰かが借りたときに挟んでそのまま返してしまったもののようだ。こういうのは「人様の秘密」を垣間見るような感じがしてちょっとしたドキドキと、なぜそんなものを入れておいたままにしたのだ、という驚き…というよりもちょっとした苛立ちというかそういう感情とが混ざった変な感情が湧いてくる。

もし仮に自分がそういうものを挟んだままにしたら…一応名前は分からないようになっているので「誰が何を借りたか」秘密は守られているものの、何となく恥ずかしい。

公共図書館を育てる

貸出票を眺めて他の本のタイトルを見ていくと、「この本だったらこういう人なのかな」とか、そういう想像ができてしてしまう。傾向がうっすらと見えてくるというか。

映画の『耳をすませば』では自分より先に貸出カードに名前がある人物に対してどんな人だろうか?と興味を覚えるところからストーリーが進んで行ったが、わたしのこの場合はそういうことが起きるはずもなく、むしろ起きたら結構不気味というか、それはアレだよもう犯罪一歩手前だよとなるだろう。借りられている本の傾向が自分と似ていたら、ちょっとだけ気になるし、話してみたいなとは思うが。

そういう本の感想マッチングサービスみたいなものはないだろうか。

あったとしても、自分のような人見知りの人間には使いこなすのが難しいか。難しいというか、登録してそれで感想とか書かずにそれで終わりにする可能性も大きい。交流する気ゼロ。じゃあサービス使うなよ、ていう話になるが、しかし新しいサービスは使ってみたくなるじゃないえ、そうでもない?そうかそうなのか…

 

朝から起き出して原稿書いていたら、不意にそのことが頭をよぎってしまった。専門書でも挟まっていたことがあったし、小説とか新書を借りたときにも、時々借りる大判の写真集でも挟まっていたことがあった。

案外、貸出票の扱いは皆ぞんざいだ。貸出カードがすでに電子化されていて図書館内のデータベースで管理されているから、手元にくる貸出票は単なるレシートの類に近い扱いを受けている。かつては本の後ろに貼り付けてあった貸出票の時代では無いのだ。あれはあれで手間が掛かり、割と複雑なプロセスで「本を借りる」ことをしていたわけだが、ある意味「本を借りる」ことを実感していたとも言える。かなりアナログだったし、今思い出そうとしてもどうやって借りていたか思い出せない。

今回挟まっていた貸出票には、他にインテリア系の書籍タイトルが並んでいた。おうち時間が増えたから部屋のレイアウトを見直そうとしたのだろうか。それとも、自分自身の暮らしを、ライフスタイルを見直そうというものだろうか、いや、もしかしたら全く関係なく単に借りただけか。その辺は分からないが、確かに読んでいる本とあわせて借りてもおかしくないものばかりだった。自分の貸出票は他の人にどう思われているだろう。一見共通項がない取り合わせになっているから、その傾向が読めないかもしれない。いや、「ジャンル関係なく読む人間」と見られるわけか。

自分でもあんまり意識してこなかっただけに、そういうのが可視化されるのってなんだか面白い。