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写真撮って、日記書いてます。

あのとき、どこでどうしていたのか

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375日目。休日の日。

何だか数字がズレまくってる気がしているが、とりあえずそのままにしている。まあそれはそれでいいや。

今日は熊本地震から5年目に当たるらしい。あーもうそうなるのか。早いもんだ。あの日をなるべく正確に思い出そうとしても、やはり抜けていくものなのだな。被災初日に何食べたか、トイレどうしたっけ、なんてのは書いておかないと抜けていく。

あのとき、どこでどうしていたのか。可能ならばまた熊本に行って、あのとき住んでいた部屋とか職場の周辺とか、街中を歩いてみたいのだが、コロナの状況が落ち着かない限りどこにも行けない。

2年か3年くらい前かな、そのときに一度行ったけどまだまだ復興半ばって感じだったし、住んでいたアパートはいつの間にかピンク色に塗り直されていて、職場は変に静まりかえっていて、思い出の場所がこうも簡単に変わってしまうのかと思うと愕然としたのを覚えている。それから更に年数が経っているから、今行ってももう何が何だか分からなくなっているような気がする。どのバス乗れば良いかもなんだかおぼろげだ。約10年近く暮らしていたのに、数年離れただけでこうなるのか。自分でも驚きでしかない。

そうやって、いろいろ忘れていくのだろうか。

被災時の日記は過去記事にこんな感じで書いてる。

 

swordfish-002.hatenablog.com

 

 

swordfish-002.hatenablog.com

↑何かまとめてしまって書いてるし。

swordfish-002.hatenablog.com

swordfish-002.hatenablog.com

swordfish-002.hatenablog.com

swordfish-002.hatenablog.com

…書いてる時の口調全部違うな!

たまに見返して、防災の意識的な部分を再確認しておかないと気づいたらなあなあで終わってしまうからな。準備をしておきたいが、防災バッグどうしようか、避難場所はあの場所であってるか、的な基本的な部分からまたチェックしておこうと思う。あとは本棚の本の固定というか、飛び出し防止機能をどうするか、とか。

そういう地味なところを確実にしておきたいと被災した人間としては思う。

「東京オリンピック、止めようか」というのを言い出しているようだが、自信があった当時にまさかこんなことになるとは思いもしなかった。今でも覚えているのは、オリンピック招致が決まった翌日に親と郵便局に行ったら「これで日本の景気はまたよくなるぞ~」と大きな声を出しながら入ってきた高齢男性(おじいちゃん)がいたことだ。田舎の小さな郵便局なので局員も客も顔見知りになっているのだが、なんていうか、あの世代の人にはそんな楽観的な人が多かったような気がする。

64年のオリンピックとそれにともなう高度経済成長の成功体験がある分だけ、今回もそうなるのではと期待した人多かったんじゃないか。ああいう感じに景気が良くなれば良かったのにね。今はそれどころじゃ無くなってしまった。被災した際も「まあでも2020年にはオリンピックがありますから」なんて言って景気が多少は良くなると考えられていたし、そういう期待もあったようだけど。

これがあと数年過ぎたらまた大きく変わってるんだろうけど、それが分かるようには今の時点をちゃんと記録しておかなければ。なんてことを思ったり。

最近、また『失敗の本質』を読み始めた。えぐるようなことが書かれていて読むのがしんどいけど、面白いから読んでしまう。あの時代から現在まで当然だけど地続きになってることを再確認させられるような、そんな内容。読む度にため息が出てしまうが、なんとかがんばって最後まで読みたい。この前は読めなかったからな、しんどすぎて。

 もし仮に、来年コロナの状況が落ち着いたらまた熊本に行きたい。行けるようになっているといいが、どうだろうか。