Archetype++

写真撮って、日記書いてます。

感覚の変化をたどってみたいが

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GXR + RICOH LENS P10 28-300mm F3.5-5.6 VC

340日目。休日の日。

だらだらしていてはなんだかもったいないし、それに何よりゴミの日だ。正直まだ寝ていたかったけれどえいやあと起き上がることにした。地味にしんどいなあこれ。団地は昔各階の部屋横にダストボックスがあって、そこからゴミを棄てていたらしい。生ゴミとかそういうやつなのかは今ひとつ想像できないが、確かにその当時使われていたであろう扉はまだ残っている。ただし、封印されてはいるが。おそらくだが、ゴミの分別の問題とか、夏の生ゴミと虫の問題とか、そういうのがいろいろと出てきたのだろう。そこら辺は想像に難くない。もう少し構造とか考えなかったのだろうか。


団地への招待(1964年)

昔の映像を見てると敷地内にゴミ焼却場まであって普通に住人が自分のゴミを焼いている場面が残ってたりするから、感覚とか全然違うんだろうなあ。いつ頃から変わってきたのか興味深い。10年前の感覚ですらもはや古く見えたりするから、こういうのは結構入れ替わりもたくさんあるのかも。そういうのを辿っていくことはできないものだろうか。なんてことを考えている。

たまたま予定もなかったので、妻とぶらり近くの公園に出かけて外で昼食を取ることにした。散歩も兼ねて、ていう具合だが、公園の人出が半端なかった。みんなわたしたちとおんなじように散歩とかボール投げとか抱きついてる男女とか戯れてる犬連れの人とか、わんさかだった。屋外だから大丈夫ってやつなのかな。気候が春めいてきたのもあるのかもしれない。桜も少しばかり咲いていたし、何より日差しがあったかくて心地よかった。そりゃあみんな出てくるよな。ようやく春に近づいたように思う。

そうか、今日は震災のあった日か。忘れていたわけではないが、あまり主の話題になることも少ない感じで、それよりも自分の目の前の暮らしだとか、仕事のことだとか、そういうのが覆い被さってきてつい後回し気味になりがちになっている。被災地に出かけて行ったこともあったが、だいぶ昔のことの気がしてならない。

swordfish-002.hatenablog.com

10年しか経ってない。でもその10年の間にいろいろなことがあって、その間に自分も地震で被災して、それどころじゃないと言ってしまうと良くないんだけど、何だろう、うまく言葉が見つからないこの感じ。感覚でものを言ってしまうのは良くないとは分かっているが、それでもそういう感覚だけが一人歩きしてしまって、言葉はいつもあとからあとからやってくるのは本当に困るというか、自分の中でうまく落ちてこない。言葉で全て表せることができるかといえばそうでもないし。先にあげた団地の焼却場とその感覚の変化みたいな部分がここでもあるのだろうか。

そんなことばかり考えてしまう。