Archetype++

写真撮って、日記書いてます。

アブラゼミふたり

f:id:swordfish-002:20200813225426j:image

iPhone8 Plus

128日目。出勤の日。

今日も暑い中お客様の応対で走り回っていた。

食事休憩はあるけど、電話番も兼ねてるから休めたような気持ちにはなれない。電話で多い問い合わせは「今空いてますか?」と「今日と明日はどちらが混みますか?」だと思う。正直答えられない質問だ。

今空いてますかと聞かれても、空いてるけど来られる時にはどうなってるか分からないし(それを加味して答えてほしいんだと思うがそれは無謀というものだ)、明日のことは明日にならないと分からないからだ。今日と比べて人の動きも変わってくるだろうから、「今日と同じくらいだと思います」とかそういうのは答えられない。ニュータイプでもない限り分からないのでは、いやニュータイプでも無理か。

とにかく、未来のことは未知であってそれが分かるなら人間誰も苦労しないのである。愚痴っていても始まらないから結局「すみませんわかりません」とだけに留めた。

ちょうど外にアブラゼミがたくさん留まる木があって、わたしなんかは「セミのなる木」と茶化して呼んでいるんだけど、そのくらいたくさんたくさんセミがいる。一つの枝に5匹以上。そして皆どこか動きが鈍い。なので子どもたちの恰好の餌食になっている。今日もまた昆虫採集ボーイが兄弟とお母さんとセミ取りに来ていて、2、3匹取って帰っていった。この辺の子どもたちは元気だ、いまだにセミ取りやってんだな、ゲームだけじゃないんだなとちょっと感慨深くなった。

帰っていくお客様の中にもセミ取りたいボーイがたまにいて、木を見上げながら「お父さん!アブラゼミふたりいるよ!」と何度も何度も繰り返し話しかけていたが、そのお父さんはそれよりも早く駐車場に行ってクルマを出したいような感じだった。結局、そのセミ取りたいボーイは取らずに帰ってしまったが、果たしてそれが良かったのかどうか、傍観者のわたしには分からなかった。捕まえれば夏休みの思い出になるかもしれない、でも飼育できるかわからない。捕まえなかったらセミは長生きできるかもしれないが、寿命が近いやつだったかもしれない。

うまく言えないけど、そのような「未来の可能性」を絞り込んでいくのが大きく言えば人生ってやつなんだろうと思う。セミ取りたいボーイの「未来の可能性」と捕まらなかったアブラゼミふたりのそれとはどこかで重なってるのかもしれないし、それが繋がらなかった瞬間にわたしは立ち会うことができたのだと思うとなんか変な感じだ。

人間って、世界って、そういう風にできてんだなあ。

そういうことを考えるのはお盆だからかもしれない。だって普段そういうこと考えたことないのに、急にそんなことが思いついたんだもん。

たまにはそういうこと考えてもいいかな。