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写真撮って、日記書いてます。

文章の先生のこと

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文章の先生は誰だったかということをぼんやり考えていて、小学2年生の頃の担任ナカムラ先生のことを思い出した。わたしたち児童が悪さしようものなら、両手パッチン(両方の頬っぺたを先生の両手がパチンとたたく)が飛んでくる先生で今だったら体罰だ的なことを言われそうかもしれないが、30年近く前はそういうのはまだ普通に行われていて、わたしもある意味やんちゃというか後先考えずに行動するような子だったからよく怒られていたのを思い出す。

通っていた小学校は宅習帳なるものがあって、1年生は絵日記を、2年生からは普通の日記と漢字、算数ドリルの問題を書き写して解くページがあり、それをこなすのが宿題だった。で、先生がわたしたちに課したのが、日記を書くときに「「ぼくは」「わたしは」で始めない」、「「きょう」で始めない」「「です、ます」で終わらない」というルールだった。

例えばこういう日記を書くと叱られる。

「きょう、ぼくは、おかあさんと、カレーをつくりました。むずかしかったけど、おいしくできたので、うれしいでした」。

文末の「うれしいでした」は打ち間違いではなく、この表現がなぜか当然のように使われていたのだが、それはまた別の機会に書ければと思う。形容詞+「~でした」、「楽しいでした」「うれしいでした」「かなしいでした」たぶん地域的なものだとは思う。

とにかく、一人称が文頭に来てはいけないルール。

それまでの1年生の絵日記では「きょう、ぼくは」と書いていた世界からガラッと変わってしまうので、最初の頃はものすごく混乱したし、どうやって書いたらいいかわからないことの方が多かった。その頃のスパルタ指導?のおかげか、今でもこんな日記とも何とも知れないものを続けている。案外その頃の文体と変わらないのは当時の影響が大きかったのかわたしが成長してないだけなのか。そのどちらもなのか。

あの時大量にあった宅習帳はどこへ行ってしまったのか。今あればデジタル化なり打ち込み化なりして、当時の自分が何考えていたかを残せるのだが皆目見当もつかない。実家は引っ越ししたし、その際にいろいろ処分したと母から聞いたので、その際に一緒に捨ててあるのかもしれない。保存するのには場所を取るから。

そしてナカムラ先生は今どうしているのか。中学か高校の時、一度だけ地元の郵便局でお会いしたけど、そこから先はどうなったのか見当も付かない。同窓会にも行ってないしそもそも呼ばれてないから、その当時の同級生についてもどうなっているのか分からずにいる。こう考えると、過去の関係性というものは非常に曖昧なものだと感じる。確かに自分を形作った期間であるはずなのに。

どうも最近はそういうことばかり考えてしまう。