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写真撮って、日記書いてます。

モネ展を見てきた

銅像

Nikon D80 + Ai AF Nikkor 35mm F2D

 

先週の土曜日に福岡市美術館で開催中のモネ展を見てきた。

monet-fukuoka.jp

相変わらず日本人はこの画家が、そして印象派が好きなようで(まぁ私もそうなのだが)、会場内は人でごった返していた。やはり土曜日に行くのは間違いだったか。これでは作品をじっくり見るどころではない。

印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ (NHK出版新書)

 

内容の構成も、どこかで見たような既視感を覚えた。ノルマンディ地方の地図とかもパネルに貼られていたけれど、あれと同じもの、あるいは似たようなものをどこかの展覧会で見たような気がする。

もっといえば、最近のこの手の展覧会は作品モチーフ製品の展示販売会になっている気がする。展覧会の最後には必ず広いスペースが確保されて、作品のプリントとかグッズがこれでもかという具合に並べられている。そこに大挙して人が訪れる光景が、大きな展覧会ではおなじみのものになっている。

一点ずつじっくり見たかったのだが、人の多さと流れに耐え切れなかった。ある程度すっ飛ばしながらて全部まわるという本末転倒なことになってしまった。作品を見るための行列に並ぶ、並んでも1点数秒か数分程度しか見られない。美術館側もそうなることは予想できただろうに、パネルの文字は相変わらず小さく、「離れて見なければならない」状況を想定していないようだった。パネルもそこに記されるテキストもデザインだというのはわかるけれど、肝心の内容が伝わってこなければ意味がない。これは今後自分でそういうものを作る時の検討材料にしようと思う。

作品の睡蓮は見ることができたけれど、人の山をかき分けてようやく、といった具合だった。大規模展は毎回こうなってしまうから(目玉とされる作品の周辺は特に)、人の動線とか考えるの大変そうだなと思う。

動線考えても、皆が皆それに従うとは限らないし。

 

実をいうと常設展示室で開催されていた九州派たちの展覧会の方が面白かった。モネ展に比べて人も少なく、作品との距離も近くできたから、じっくり見ることができた。九州派と呼ばれる前衛芸術グループがあったことも知らなかったし、当然彼らの作品がどのようなものであるかも知らなかった。

九州派 展 戦後の福岡で産声を上げた、奇跡の前衛集団。その歴史を再訪する

彼らは当時の時代背景を色濃く反映していた集団だったといえる。労働争議との関係が密接だったから(特に炭坑関係)、それが収束に向かうにつれて九州派も解体していくというのがなんともいえなかった。公募反対を掲げながら中核メンバーがそれに造反して、結局別グループ結成したりとか、労働争議学生運動と似たような運命をたどっている。それにつれて作品も徐々に変化していく、てのを展示してあった。作品は不思議な、いやなんといえばいいか、不気味な印象をどこかもつものばかりで、アスファルトやコールタールの黒がどの絵の具の黒よりも濃く、力強かった。

できればもっと大きな会場で、多くの作品を見たかった(ただ九州派が作品を残さない、写真も撮らないと自分たちでも言っていたようで、どのくらい残っているかはわからない)。

 もう少し知りたいから図録を入手しようと思う。今回は買いそびれてしまった。

 

それにしても、大規模展覧会を見る集中力が落ちたなと自分でも感じる。昔はもう少し粘ってみようとしていたんだけれど、最近はそれが少しダメになってる。静かで落ち着いた状態で、じっくりと見たい気持ちの方が強い。もっと落ち着いて見られるような展覧会はないものか。難しいところだな。